フィリピン・ダバオで経験した、僕の旅の原点
こんばんは。まっちゃん(@macchanblog)です。
いよいよ今日から、僕の大好きな”旅”についての記事を書きます。
「世界一周旅行」
今でこそ、よく聞く言葉ではありますよね。
日本人で世界一周旅行をする人が増えてきたのは、ここ10年くらいではないでしょうか?
最近ではもはや”世界一周ブーム”とでも言えるかのような、誰もが気軽に旅の出来る素晴らしい時代になりました。
実は僕も ”世界一周” という響きに憧れて、旅に出たことがあります。
今から4年前、大学四年生のころでした。
僕の場合、旅に出たのは単純な理由でした。
「この目で世界を見て、様々な文化を感じたかったから」
(ドミニカ共和国・プンタカナのゲストハウスのハンモックでの”人生最高の昼寝”。雲がゆったり流れ、時が止まったような感覚)
旅にでるきっかけを与えてくれた、フィリピンでの経験
きっかけは、大学2年時に訪れたフィリピンでの経験です。
2012年2~3月、僕はフィリピンに滞在していました。
前半はルソン島のバギオにある語学学校で英語の勉強を。
残りの1週間は、ルソン島を離れミンダナオ島のダバオという場所に滞在していました。
ダバオに滞在した目的は、現地の難民支援や貧しい子どもたちの生活支援を行っているNGO団体の訪問です。
ちょうど私の知人が、その団体の代表の友人ということで、ご縁あって紹介して頂きました。
僕がここで何をしていたのかというと・・・
現地村の訪問活動に同行してみたり・・・
僕はこのダバオ滞在で、”外国人と一緒に暮らす” という初めての経験をしました。
そして、その経験を通じて、”人のあるべき姿とは何か” を見ることが出来た気がしました。
少々大げさかも知れませんが、僕がダバオで学んだことはこれでした。
学びを与えてくれた、ある集落での出来事
ある日、僕は現地民族のマノボ族の集落を訪れ、一晩宿泊することになりました。
その集落へ向かう車中、現地スタッフが僕に言いました。
「僕の家は電気も水道もないからね!ハハハ!」
「僕の家は電気も水道もないからね!ハハハ!」
僕はこの集落の現実を聞いてとても驚いたのを覚えています。
そして同時に、たった電気も水もない”だけ”のことに驚いてしまう自分が、
いかに世界を知らずに生きてきたのかということに、恥ずかしさを覚えました。
そんな複雑な思いを抱えながら、車は集落に到着しました。
そんな複雑な思いを抱えながら、車は集落に到着しました。
車から降りると、電気がないってこんなにも暗いものなのか!というほどあたりは真っ暗。
足元が何も見えず、道も舗装されていません。
車から宿泊予定の家までわずか数十メートル。そのわずかな距離がとても長く感じられました。
足元が何も見えず、道も舗装されていません。
車から宿泊予定の家までわずか数十メートル。そのわずかな距離がとても長く感じられました。
(宿泊した家を明るい時に撮影させてもらいました)
暗闇の中を何とか歩き、無事に家までたどり着きました。
扉を開けると、見ず知らずの日本人の私に、そこの家族みなが揃って笑顔で出迎えてくれました。
暗闇の中を何とか歩き、無事に家までたどり着きました。
扉を開けると、見ず知らずの日本人の私に、そこの家族みなが揃って笑顔で出迎えてくれました。
彼らとコミュニケーションしようとしましたが、彼らは現地の言語しか話すことが出来ません。それでも、好意的に接してくれているのはよくわかりました!
笑顔がとても素敵だったのです!
(ごちそうになったディナーの写真。家で育てた豚肉料理でした。美味しかったです。)
お家では豪華なディナーまで振る舞ってもらい、何とお客さん用にビールまで頂いちゃいました。
ご家族・親戚総勢15人くらいとディナーを楽しんだのですが、この光景が僕の中でとても感動的だったんです。
日本人と彼らとのギャップ
フィリピンの集落での楽しいディナータイムを経て、日本とのギャップを感じました。
日本では電気も水道はもちろん、テレビ・冷蔵庫・洗濯機など、いくつもの家電を当たり前のように使い、一見非常に豊かな生活をしているように見えます。
これにも関わらず、メンタル不調や過労によって身体を壊す日本人もとても多いです。
日本の通勤電車に乗る多くのサラリーマンも、疲れた顔を押した人が多いですよね。
一方で、僕がフィリピンで出会った人々は、電気も水道も無ければ家電もありません。
それでも僕が集落で出会った家族のように、
これにも関わらず、メンタル不調や過労によって身体を壊す日本人もとても多いです。
日本の通勤電車に乗る多くのサラリーマンも、疲れた顔を押した人が多いですよね。
一方で、僕がフィリピンで出会った人々は、電気も水道も無ければ家電もありません。
それでも僕が集落で出会った家族のように、
家族みんなで食事をし、赤ちゃんからお爺さんまで皆が語らう姿に、
フィリピンには日本とは違う豊かさがあるということを肌で感じることが出来ました。
僕ら日本人が普段忘れている幸せってこういう感覚なのではないかと。
一見すると、恵まれていない生活。
しかし自然に囲まれながら、家族みなが協力しながら暮らすことこそ、
しかし自然に囲まれながら、家族みなが協力しながら暮らすことこそ、
もしかすると人間本来のあるべき姿なのかもしれません。
これは僕のなかで非常に大きな気づきとなりました。
ダバオが教えてくれたこの大事な感覚を、僕は一生忘れずに生きていきたいと思いました。
その夜は胸がいっぱいになり、涼しい風が心地よく吹いてくるフィリピン独特の家の中でとても心地よく眠りにつくことが出来ました。
これは僕のなかで非常に大きな気づきとなりました。
ダバオが教えてくれたこの大事な感覚を、僕は一生忘れずに生きていきたいと思いました。
その夜は胸がいっぱいになり、涼しい風が心地よく吹いてくるフィリピン独特の家の中でとても心地よく眠りにつくことが出来ました。
もっと色んな世界をこの目で見てみたい
フィリピンから帰国し、再び日本の生活に戻っていくなかで感じたことがあります。
「このまま何もしないで社会人になりたくない。もっと色々な世界をこの目で見たい。そして世界中の幸せについて考えてみたい。」と思うようになりました。
そして、フィリピン帰国後から1年半後の2013年10月に、僕は世界一周の旅に出たのです。
このブログではしばらく、僕の世界一周旅行の記録について書いて行きたいと思います。
この記事では”なぜ世界一周に出たか?”という自分の考えについて書いてみましたが、これからは皆さんの旅のノウハウになるような内容にしたいと思っています!
これから頻度高く更新して行く予定ですので、よかったらまた読んでみて下さい。
最後までお読み頂いてありがとうございました。
まっちゃん